加門七海

加門七海という作家がいる。私はこの人の小説は読んだことはないが、「怪談徒然草」等の実話?怪談を読んだことがあり、次から次に繰り出される心霊体験に唖然としたものだ。
彼女は所謂「見える人」なのだ。彼女にとって霊魂の存在はほとんど日常の生活の一こま、生きている人間と同じくらいありふれた存在になっている。
彼女の本を読んで、彼女のリポートする体験から導き出される可能性というものを考えてみると、

一、彼女の眼、心に映ずるものは、普通の人間の目には見えない世界の実相を現している。霊魂や神仏の霊験というものは実際に「存在」するのだが、彼女のような能力を持たない人間には見えないし、感じられないだけである。

二、彼女の主観にはそのようなものが見え、感じられると勝手に思っているだけで、「現実には」そのような現象も存在もない。すべては彼女の幻想、幻覚である。この場合、彼女は一種の狂気にとらわれているとも云えよう。

三、彼女はただの職業的なフィクション作家に過ぎない。すべては虚構であり、もちろん彼女自身、それらが虚構であることを自覚して話を作っている。

この三つの可能性以外の他の可能性ってあるだろうか。論理的な可能性だけをいえば、

四、彼女はただの職業的なフィクション作家に過ぎず、彼女が書いていることはすべて文字の上だけの虚構ではあるが、霊魂や神仏の霊験というものは「現実に」存在する。

五、あるいは彼女の体験はすべて幻覚だが、それとは別に霊というものは存在する可能性。

というのも考えられるが、そんなことを考えてもしょうがない。さらにこんな可能性はどうか。

六、彼女の報告する体験は彼女が感じたありのままを述べた実体験であるが、それらの体験は霊魂や神仏の霊験というような彼女の意味づけとはまったく違う性質を異にした、何らかの超自然的な「力」というものが現実に存在する。それは彼女のようなアンテナを持った人にはある幻覚、ビジョン、気配という形で「作用」する。しかし、それらの「力」はいわゆる霊や神仏とかあの世とかとは何の関係もない、いまだ発見されていない宇宙に偏在する未知のエネルギーのようなものである。それが彼女のような体質をもった人には霊体験のようなものとして現れる。

ことの「真相」は以上の可能性のどれかに当てはまるのか、それとも他にまた別の可能性があるだろうか。

七、あるいは「見える人」というのは、特殊な色彩感覚のようなものだろうか。たとえば赤という色のクオリアがどういう質として各人に立ち現れているかは比べようがないものの、色盲でなければ赤と命名されている色に対して他の色と区別されるクオリアが万人に存在するが、霊が見えたり、霊の気配が感じられる霊クオリアというものが特定の人にのみ存在し、霊的原質が霊クオリアと遭遇したときに霊的現象が霊クオリアを持った人のうちに立ち現れるといったような。しかし、ポルターガイスト現象や、人魂と云ったものもあり、そういう一種の物理現象のようなものが霊現象であるならば、霊現象は霊クオリアを持った人にのみ現れるというわけでもなさそうだ。