「窓の外」とは何か 岩明均「七夕の国」

丸神一族に伝わる特殊な能力の正体と、その力の由来、40万円の模型は何のためのものか、祭りや旗の図案など、いろいろ魅力的な謎が物語を引っ張っていく。
それらの解明は一つ一つ、リーズナブルに説明されていき、ウェルメイドな伝奇ミステリーとしてもかなり面白く読めるのだが、「窓の外」というフレーズが出てきたところからオヤッと思い、だんだんとこのマンガのテーマが「この存在世界」自体を問題にしていることが明らかになるにつれ、ちょっと他に例がないような形而上学的な問題意識に触れたマンガではないかと思ったりもした。

先にあげた様々な謎のうち、本作のテーマに関わる一番の謎は「丸神頼之の心のモヤモヤとは何だったのか?」であり、頼之の出した結論に対する主人公の反発こそが、この作品の思想的な基盤だろう。

頼之は「頭のいい人」として紹介され、歴代当主の中で、初めて丸神に伝わる能力の意味について、全く新しい解釈を思いついた人物である。彼は他の町民たちの持つ異界からの訪問者への無意識の畏れというくびきから脱し、外の世界を徘徊するが、彼の持つ能力は、外界においては権力や金目当ての人間に利用されるだけの「市場価値」しかないことを確認する。彼がなぜ政界の黒幕たちの権力闘争に協力をしていたのかはよくわからないが(頼之の行動原理は黒幕たちにも理解不能に映る)、結局のところ、彼が見つめているのは「窓の外」つまりこの世界の外側であり、彼は政治家たちに利用されているふうを装いながら、単に「窓の外」への玄関を作るための実験をしていただけなのかもしれない。

神町の「伝統」に対してだけでなく、もはや「人間」にも「この世界」にも何の思い入れもなく、「窓の外側への玄関」を開く頼之。「この世の外へなら何処へでも」というこの存在宇宙からの脱出願望自体は様々なファンタジー幻想文学のテーマとして描かれてきたようなものでもあり、主人公と幸子を心理的に隔てる「川」の正体が、幸子の中にある、この世界からの脱出願望、もしくは世界への呪詛だというエピソードも頼之の行動原理を別の角度から補強していると思う。幸子の場合、この世界からの脱出願望が、兄からの虐待によるトラウマに関係するような、たぶんに人間関係に起因する心理的なものだったゆえに、主人公の説得が功を奏したというべきだろうか。

主人公が掃除をしながら考えたことが、この存在世界へ引きとどまる理由として説得力を持ちえるのかどうかはわからない。しかし、観念的な理由で自殺願望があるような若い人に向けた作者の訴えかけの真摯さには打たれるものがあり、「窓の外」に踏み出す前に、とりあえず「七夕の国」の一読をオススメしたい。